ポタッ・ポタッ血が落ちた。

 桜の花が美しく、木々の間に明るい日の光が差し込む、少し肌寒い風が心地よい午前であった。由美子の目の前には、逆光でシルエットのように暗く映る人影があった。右手にカミソリを持って、左の手首を切った後のだった。シルエットの人影は、私の方を見ているようだ。

 「だれ!」

低い怯えた男性の声だった。その声は震えていた。いや泣いているのだろう。由美子は震えながらも、ゆっくり近づいていた。白いシャツを着た細身で背の高い男性(まだ少年だろう)、手にカミソリを握ったまま、身じろぎもせず、こっちを見ていた。近づくと白い肌に整った顔立ちが妖精のように美しかった。

「そこで何をしているのですか。」

由美子の声に彼は、一瞬ピクリと動いた。次の瞬間、由美子はポケットから、白いレースのハンカチを取り出し、無言で彼の左の手首に巻いて、血を止めようとした。彼も何も言わずに、身動きもしなかった。じっと由美子を見下ろしていた。その時、風がさらさらと通り抜けて、木々の枝が揺れた。

「響輝、響輝どこにいるの?」

 遠くで女の人の声がした。すると彼は慌てて身を翻して、声のする方に音もなく消えていった。後に残った由美子は、今、目の前にあったことが、夢か幻のように感じていた。男性が立ち去った後、しばらく呆然とその場に、立ちつくしていた。

 今日は由美子が、高校受験の結果の発表の日で、それを見に学校まで来たのであった。この学校は都内でも有名な、紳士淑女を育てる高校で、都内だけでなく、全国各地から受験者が来る私立の春麗学園である。この学園は都内とは思えないほどの、緑に囲まれた自然豊かな場所で、山に面して建っていた。

 由美子がいる場所は、校舎の裏の山の麓にあたり、そこには小さな池があり、鯉が優雅に泳いでいた。また桜などの自然の樹木があり、鳥や虫なども多く生息して、鳴き声なども聞こえる。都内のあわただしい風景に暮らす人にとっては、非日常的な場所であろう。

 由美子は我に返ったように、歩き出して校舎の方へと向かった。そして校舎の前に張り出されている、合格者の番号を確認した。由美子は普通の受験生ではなかった。中学時代の全国模試で、素晴らしい成績を納めて、この学園側から、是非うちの学園にと頼まれて受験したのだ。

 当然由美子は合格している。しかも学園は由美子に学費を無償にして、その上この学園から、返還なしの奨学金の支給も決まっていた。由美子はわざわざこの学園の、合格発表を見に来る必要はなかったが、ここに入学する前に、この学園内を見て回っておきたかったのだ。

 由美子は自宅に帰って、合格を両親に報告した。両親はそれに対しては、当然のことなので、特に驚くこともなかったが、とりあえず、合格祝いのごちそうは用意してくれていた。そのささやかな祝いも終わり、自分の部屋で、今日の一日のことを思い出していた。

 今日会った美しい男性の顔が、頭に浮かんで忘れられなかった。あれは何だったのだろう。現実だったのだろうか。

投稿者

ほたる

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