父の康雄の話では、この国の芸能界にゆるぎない権力がある芸能事務所は、一応は連携という契約はしているが、すべての芸能活動はこの芸能事務所を通す以外に方法はなく、仕事に対する好き嫌いや、芸能事務所が持ってきた仕事を断ることも困難でした。つまり専属契約ではないが、かなり縛りがあった。

 彼は大手芸能事務所の力もあって、見る見るうちにスターになっていった。彼の才能は歌うことや演じることだけではなかった。作詞や作曲にも飛びぬけた才能を見せた。そのため多くの仕事が芸能事務所から持ってこられた。テレビでは中学生の彼は、午後10時以降は出ることができなかった。

 しかし、それは表むきでテレビ出演以外に、自宅では多くの作詞作曲の仕事をしなければいけなかった。そのため彼は寝る間もないほど働かなければいけなかった。それが彼の精神を少しずつ蝕んでいった。そんな状態の彼は、新人の女性アイドルに恋をした。

 そのアイドルは同じ芸能事務所なため、彼女のデビュー曲からずっとプロデュースしていた。そのことが縁で彼女を好きになったのだが、彼女は彼より3歳年上であった。松田響輝は彼女のために多くのヒット曲を作り、彼女もどんどんスターになっていた。そのうち2人は公認の恋人のようになっていた。

 その後1年ほど経ったある日、松田響輝は自殺を図り、芸能事務所のビルの屋上から、飛び降りようとしたところを、ガードマンにとめられた。その自殺未遂はすぐに報道されて広がっていった。その自殺未遂の動機について多くの憶測が飛んでいた。

 その一つは芸能事務所の働かせすぎで、メンタルを病んだ、発作的なことではないかというもので、そのため、芸能事務所は多くのメディアやSNSで叩かれることになった。

 もう一つは松田響輝と交際が噂された女性アイドルが、同じ事務所の役者との熱愛報道が出て、その後交際宣言をしたため、それに絶望した松田響輝が、自殺を図ったという憶測でした。芸能事務所は自分達への批判をかわすため、松田響輝が失恋のショックで、自殺を図ったということを記者会見で発表した。

 しかもその記者会見では、交際宣言をした2人が同席して、松田響輝が一方的に新人女性アイドルに告白して振られた。しかも松田響輝は女性アイドルに交際相手がいることを以前から話していたので、わかってくれていたと思っていたと話したのであった。

 芸能事務所は多くの人を巻き込み、心配をかけて、世間を騒がせたため、松田響輝を解雇すると宣言した。そのため松田響輝は何一つ自分の言葉で、弁解することはできなかった。もっとも松田響輝自身も精神的に不安定で、なぜ自分が死のうとしたのか、自分でも理解できていなかった。

 自殺未遂後、松田響輝はメディアやSNSで、アイドル達を見ると精神が不安定になるので、しばらく留学という名目で、日本の個人事務所を閉めて、中国に個人事務所の社員とともに事務所を移動した。そしてしばらくはアジアを中心に、海外の舞台やコンサートを見て回っていました。

 

投稿者

ほたる

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